思考のアウトプットと料理との関連性についての検討 - 毒霧呑大学 人文社会科学部 言語表出研究科

僕は口下手だ。

 

例えば、何か面白い話題があって友人に共有しようとする。しかし、その内容を噛み砕いて噛み砕いてアウトプットする時、そこに出力されるのは、往々にして「太古の昔のインターネットから存在しているガッビガビの画像みたいに劣化したモノ」だったりするのだ。

 

唐突だが、個人的に「言語表出」とは「料理」だと思っている。何が料理だ、と思うかもしれないが、仕入れた情報を吟味し、客に提供できるように料理として加工し、最も美味しくいただいてもらうためにコースとして順番を決定し、実際に食事の場に出す。どうだろう、あながち間違いではないのではなかろうか。まあ今思いついたんだけどね。

 

つまり、僕は圧倒的に料理→コースの構築という過程が下手くそなのだ。そのままレシピ通りに作ればいいものを、メモに書いてない調味料をぶっかけ、勝手にデザートを先出し、メインディッシュは生焼けのまま提供する。どうしたものか。

 

思い返してみると、幼少時からその気質はあった。周りよりも少しだけ知能が高い程度のガキだった僕は、辞書を読むのが好きだった。そして、その手のガキにはよくあることなのだろうが、「難解な言葉を使う」のもセットで好きだった。

 

当時は僕の拙い言語表出を「賢い」と認識する大人がいっぱいいたようで、ほとんどの場合褒められた。その結果、「難解な言葉を使う、いまいち要領を得ない会話をする生意気なクソガキ」が誕生し、もちろん今なお、僕はその延長線上にいるわけだ。

 

閑話休題。ではなぜこんな話をしたかというと、最近の人とのコミュニケーションで「口下手さ」「説明下手さ」を実感することが多くなってきているからだ。

 

現在大学四年生である僕は、今日も今日とてDiscordで常日頃から仲良くしてくれている友人と純度の高いインターネットの話で盛り上がっているのだが、思い起こしてみると、というかほとんどの場合、「ぼくのかんがえた(もってきた)さいきょうのおはなし」が「微妙なおはなし」くらいにランクダウンして伝わっているような気がする。不快も不快、実に不快!というほどではないのだが、「本当はもっと面白いのに」とか「思ってたよりもウケなかったな」みたいなモヤっとした感じが、ごく短い時間ではあるが残り続けるのだ。

 

人間である以上、得た情報を表出する際には二重三重のバイアスや思想といったフィルターを通過して産み落とされるわけだから、その結果自体は仕方がない。

 

でもちょっと待って欲しい。噺家、芸人、漫才師、ストリーマー、実況者、教師、政治家、詐欺師...(雲行きが怪しくなったのでこの辺で止めておくが)。

 

世の中には100%の話を劣化させずにそのまま、いやそのままと言わず120%、200%にブーストして放出できる人間がいる。

 

僕が輸入した貴重な食材をせっせこ不味くして提供している間に、彼らは適切な調味料、適切な手順を汲んで人々を魅了するような料理を振る舞っているのだ。悔しい。

 

 

 

 

まあ、だからなんだっつー話なんですけど。

 

 

 

 

 

結局ゥ、俺たちはァ、日常生活で支障がないレベルで会話ができるんだったら、話の上手い下手をいちいち気にしなくてもいいんだっつってんの!てめえの周りには、てめえの話を「面白い」って言ってくれる人間がいるよなあ?三ツ星料理店と、個人の手料理を比較して、うだうだ言ってても、そこに何の意味も無えよなあ?てめえの料理がいくら不味くったって、それを食って「うめえ」って言ってくれる人間がいるんだったら、それでいいんじゃねえかっつってんの!

 

 

...心の中のナコンが叫び始めたので、今日はこの辺で。

 

書きながら、話が飛躍しすぎたなと思った。結局僕は僕だし、日常生活で支障がないレベルで会話ができるのであれば、あるいは、それこそストリーマーやらなんやらになる気がそこまでないのであれば、今のままでもいいんじゃない?僕が欲しいのは人よりもちょっと上程度の話術なんだからそこまで思い詰めるなよ、と思った。この記事でちょっとだけ思考整理できた気がする。ここまで読んでくれてありがとう。僕はこの後ChatGPTにでも話がうまくなるコツを相談して眠ることにするよ。

 

 

以上です

高評価&チャンネル登録

お願いします

 

 

www.youtube.com