(過去記事)鼻炎持ちが図書館に行くな

⚠️  ATTENTION!⚠️
・この記事は2023年春に公開予定だったものです
・微グロ、流血表現アリ*1
・キャラ崩壊注意*2
・死ネタ含みます*3

なんでも許せる人だけGO!( ←

 

 

 

 

 

 

 

どうも、未来永劫慢性鼻炎(僕がそう呼んでるだけ、正式名称を慢性副鼻腔炎)に悩まされ続ける限界男子大学生です。この時期になると鼻炎が辛うて辛うて敵わない。滅べ、花粉。

 

先日、彼女と大阪・京都旅行に行ってきた。

実は9月に特に仲の良い友人2名とも京都へ行き、日程の中で3人中2人がゲロを撒き散らしながら見知らぬ土地を闊歩する、という「キショ東海道中膝栗毛」を繰り広げていたのだが、その話は別の機会に。

 

大阪は僕がUSJに行きたいと言ったからで、京都は彼女が着物着て写真撮りたい、と言ったからである。

男子高時代、クラスの「生涯童貞そうな奴ランキング」で堂々の4位を獲得した僕に奇跡的にできた彼女。ならば当然行きたい。そう、リア充の聖地USJに。

 

しかしながら、幼少期より「動くもの」「音が出るもの」の二つの要素を兼ね備えたおもちゃが苦手だった僕は、遊園地を毛嫌いしていた。

 

だってでかい音が出る、はちゃめちゃな動きをする乗り物がそんじょそこらに転がっており、あまつさえそれがメインコンテンツだというのだ。行きたいわけがない。

 

あと僕は着ぐるみが苦手だ。幼い頃から「某Dの国」の「幹間臼」らの中には人間が入っている、という苛烈な洗脳を受けたおかげで、子供の目から見たら「尊大でしっかりしている生物」である「大人」が「イマジナリーな非人間のふりをしている」という異常な状況に不快感を感じてしまうのだ。そしてそれはいまだに治っていない。証拠にUSJで出会った、リボンをつけた某白猫の着ぐるみに若干ビビっている僕の様子がカメラに記録されている。

 

だが現代は多様性を重視する社会。僕もその潮流に乗っかって「大人が非人間のふりしててもいいじゃないか」と自分自身を納得させることで騙し騙し行くことにした。

 

というか、法制度の上では僕自身がすでに「大人」のわけで、そんな「大人」が着ぐるみごときにビビってたまるか、という気持ちもあった。

 

てか、多様性を認めるならば、僕が苦手なものはそのままでいいんじゃないか?そもそもよく考えてみれば、僕自身が「大人とはかくあるべし」という固定概念を取っ払うことができていない時点で、多様性とはかけ離れているのではないか?お前は多様性を適当に解釈しているな?磔刑(たっけい)に処すぞ

 

こうなるので、ジェンダー論と多様性についての議論は、特に今の現代社会では安易に論じてはいけない。言いたかないけど、今んとこ禁忌と日常の狭間みたいな扱いだからね。

 

なんなんだろう。ちゅ、多様性。

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かわいい。

 

それはともかく、半ばヤケクソ気味に決めたUSJ旅行だったが、これがまあ楽しかった。

USJは「デカい音とデカい動きをする機械娯楽」と忌まわしき着ぐるみの「贄(にえ)」がうろつくだけの収容施設ではないのだ。

 

まず、USJにはいくつかのエリアがある。

...などなど。

 

USJが人気パークなのは自明だが、そのうちのいくつかは整理券を取っておかないと入れないくらいの「超」人気スポットだという。今回は一番人気の「おちんちんシュポシュポランド 〜苦瓜ゼリーを添えて〜」以外の三箇所をメインで回ったが、マリオなんかはまさに整理券がないと入れない例のソレだった。日程的には最後の方に回ったのだが、マジもんのキノコ王国か?ってくらい人がいた。

 

俺が本物のマリオだということを、ここにいる何人が気づくだろう

「スーパー・ニンテンドー・ワールド™」に限らずだが、どのアトラクションも2時間近く待った。あんなに列で並んだのは人生で初めての経験だった。僕も彼女も足腰をバッキバキにしながら待機していたが、メインのアトラクションに乗る時間はたった五分程度。おいおい笑わせるなと。バカかと。アホかと。とか思っていたが、実際終わってみると、「並ばされた」ことに対してのストレスはそんなになかったのが不思議である。いや年に複数回行くとしたら途中で発狂してしまうとは思ったが、想定よりも「いい経験だったな」というのが感想である。

 

磯田 友里子(2018, 早稲田大学)による「購買に伴う待ち時間が消費者行動に与える影響」( https://www.jstage.jst.go.jp/article/acs/24/2/24_2_73/_pdf/-char/en )では、題目通り、待ち時間が与える影響について、さまざまな先行研究とともに紹介されている。


"Koo and Fishbach(2010)が行った野外実験では、テーマパークでアトラクションに乗る ために列に並んだ際、自分の後ろに並ぶ人数に注目した人は、前に並ぶ人数に注目した人よ りも、乗り物を高く評価することが報告された。これは、自身の前にできた行列は「成果取得までに必要な努力量」を、自身の後ろにできた行列は「成果の価値」を表すためとされる。“


...というわけで、並ぶ行為はその後の経験の満足度を引き上げるのだ、ということが科学的にもある程度信頼性のある研究結果として公表されている、とだけ紹介させてもらう。まさか、自分のはてなblogごときで論文を参考文献に持ってくるとは思わなかった。このブログはきちんとした提出用論文ではないので雑に紹介させてもらった。

 

かなり回りくどくなってしまったが、僕はその研究結果を身をもって経験することになった。いいよね、社会心理学

 

それはさておき、何を隠そう僕はほとんど映画を見ない。

 

人生で初めて見た映画は、和田あき子がクッパを演じているマリオの映画であり、最後に劇場で見たのは小学五年生の時。旧くから家族と親交の深いおばさんに連れられ、「ブッダ」という誰が見ても仏教がテーマのアニメーション映画を見た。いかにも「悪役」な男が笑っている場面で、その大口めがけてすっ飛んできた槍がそのまま脳天を貫く、という、スプラッター映画さながらの演出に僕はドン引きし、以来、劇場に足を運ぶことはなかった。おばさんもどこか気まずそうな表情をしていたような気がする。

 

だから、

 

 

 

えーと、

 

 

 

その...

 

 

ハリー・ポッターって知ってます?

 

ハリーポッターとでっかい菩薩犬』
僕は英語が苦手だが、多分そう書かれていると思う

 

魔法SF映画の金字塔。ヴィーガンかつLGBTQを認めない、女子高生大回転みたいな名前をした人が作った大ボラ物語。そんなことないか。大体合ってるはずなんだけど。ともかく、USJにはそれをモチーフにしたエリアが存在する。「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター™」。

 

僕の記憶の中にあるハリポタの思い出といえば、小学生の頃中のよかった友人が夏休みに日本語訳版の分厚い本を三冊とも借りるのを横目に、「かいけつゾロリ」シリーズを三作を借りた...というくらいだ。

 

マリオは幼少の頃まぁまぁな任天堂オタクだったおかげで、年甲斐もなく楽しむことができた。最新作付近のネタには疎いが、「ボムへいのせんじょう」の絵画が入り口にあったりして面白かった。

 

しかしハリポタに関しては、一切内容に関しての記憶がない。予備知識こそがUSJを彩るスパイスだ、という情報は事前に得ているが、このままでは無知無知❤️ポッターのまま、魔法界の権力争いに身を投じることになってしまう。ならないか。

 

 

...ということで、

 

見ました。全作品。Netflixで。

 

 

あまりにもデザインがシンプルすぎて腹立つ社名 堂々の第一位


偉い。流石に偉すぎる。思いついて実際に行動に移せたのは、グータラな僕にしてはあまりにも天才すぎる所業。千数百円の月謝は金欠民族にはちと痛かったが、相応の対価だ。くれてやる。なんなら色もつけて渡してやろうか?ホラ、チューリップだよ。綺麗だね。なんだ?その目は?もしかして反抗しようという気か?このヴィーガンの儂に?ブワハハハ!肉食え!肉!(どこからともなく現れた上田晋也がヴォルデモートの頭に焼き肉のタレを載せ、手を合わせている)

 

ブワハハハの人と我が君の漫才はさておき(どちらの名誉も深く傷つけた気がするが)、ともかく僕はここ一ヶ月ほどで映画版ハリー・ポッター「賢者の石」から「死の秘宝 Part2」までを見終え、ある程度の知識を得た。

 

面白かったと、思う。普段映画とは無縁の生活だった僕だが、世間一般的に売れてるだけあって、普通に楽しむ事ができた。批評家や原作ファンとかではないのでどこがどうとかは言及しないけど、映画だけ通して見ればいい作品だったのではないかと思う。

 

まあさすがにね。もう、ね。いい歳した大人だしね。いくらUSJとはいえ、年甲斐もなくグッズなんか買うとかさ、ノリノリで「アロホモラ*4!」とかいいながらさ、杖振り回すとかさ、するわけないじゃんね。

 

 

 

 

その辺に落ちてた棒です

彼は画角外から銃口を向けられています

 

 

...

... ...

 

 

たのし〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

お察しの通り、全力で魔法使いを遂行した。言ってなかったが、なんならUSJには2日連続でお邪魔しており、写真1枚目は1日目の夕方で、2枚目は朝7時半頃に撮影されたものである。早起き苦手なくせに、あまりにもエンジョイしすぎている。何が「デカい音とデカい動きをする機械娯楽苦手男」だ。ちゃんと克服できてるじゃないか。

 

彼女の提案で、1日目に杖の購入と下見、2日目にアトラクションメインで回る、というプランで行動したが、バチバチにうまくハマり、2日目の朝最初に行ったハリポタのアトラクションは、脅威の待ち時間10分弱で乗る事ができた。ありがとう。下見とか整理券とかほとんど任せてごめん。インターネット(の、正確には負の面。肉体派おじゃる丸とか)に疎いくせに情強なのほんとうになんなんだ。まじでありがとう。

 

 

というわけで、いいよ、USJ。着ぐるみはまだ怖いけど、全然楽しかった。

みんなも行こう。書くの飽きた。おわり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「書くの飽きた。おわり。」...っと

 

...よし、めんどくさいし終わり方(ズビ)これでいいだろ(ズビ)。

一通り(ズビ)書き終えたし(ズビ)。

あとは(ズビ)これを(ズビ)アップロードするだけズビね。

 

 

 

...ッターン!

 

 

 

タイトル : 鼻炎持ちが図書館に行くな*5

*1:ないです

*2:ないです

*3:ないです

*4:鍵開け呪文、現代だと特殊開錠用具所持禁止法に抵触する恐れがあるが、裁判では「」が「特殊開錠用具」として認められるかどうかがカギになってくる。ピッキングだけに

*5:本当に分かりづらいので補足しておくと、記事執筆時点では4月中頃くらいだったため、バチクソ花粉症の時期だった。なぜか図書館に来て勉強しようと思い、結果的にやる気が出なさすぎて書き始めたブログ記事のため、やけに冗長だし途中からこれすらめんどくさくなって放置していた。マジで図書館に来て鼻を啜るTVしただけだった。この記事は約1年後の僕が加筆・修正を加えて投稿したものであることを、ご理解いただきたい。

筋トレしろカス

筋トレをしろお前が本当にベースが上手くなりたいのならばな...

 

 

1月上旬、勢いでギター(黒いテレキャスター)を買い、一ヶ月ほど練習してみた。

楽しい。ギターの音が出る。すごく楽しい。購入の際、「この『ギターセンパイ』というサービス、1ヶ月1,000円くらいで人気曲を通した練習指南動画をたくさん見れますよ... 見れますよ... ...よ...」という島村楽器副店長のマーケティング戦略にもまんまと引っかかってしまったが、「青春コンプレックス」などのヲタク御用達曲がちょっとずつ体に染み込んでいくのはなかなかに面白かったので、よしとする。

 

今までヒョロヒョロの高音がでるフルなんちゃらみたいな楽器*1を触ってきたせいで、このジャカジャカだかチャキチャキだか鳴る楽器は本当に新鮮だったため、どハマりした。テスト期間中、あまりにもギターを弾きたすぎて勉強に集中できなかったため、仲の良い友人の家に(傍迷惑にも)テレキャスを預ける決断をしたくらいだ。

 

チャキチャキ... ペケペケ... (ギターの1,2弦をかき鳴らす音)(生音)

 

ただ...なんか違う。違うというか、もっと僕のDNAの奥深くまでブッ刺さるような「「「「何か」」」」が他にある気がする。

 

ベケベケベケベケ...(ギターの5弦をかき鳴らす音)(生音)

 

う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん??????

 

べべべべベベべべべ... ボボボボボボボボ... (ギターの5,6弦をかき鳴らす音)(生音)

 

お????

 

これだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

答えが出た。

僕は遺伝子レベルで音楽における「ベースライン」が大好物なのだった。

 

思えば、高校の頃、音楽の授業で聴いた曲に対し、「この曲のここの重低音が心地よくて...」とコメントしたことがある。その際、担当教員から「普通は重低音聴いたら気持ち悪いと答える人が多いんだが、お前は"心地いい"と感じるんだな」と返されたが、あれは「逆張りか?的外れなこと言ってんじゃねえよカス」という意味ではなく、「お前は"低音"系の音楽に適正があるんだな」という先見の明からくる分析だったのだ。

僕は人生において起こるあらゆることは運命的に決定づけられている、という考え方に深く賛同しているのだが、今回のこの一件でそれがさらに固まった。個人的に今までの人生の中で5本の指に入るくらい壮大な伏線回収だ。激アツ展開。

 

閑話休題

 

そのことに気づいて数週間、テスト期間にギターを封印し、悶々としていた僕の元に、"ソレ"はあまりにも唐突に現れた。

 

ベース買いて〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

これは限界に達した瞬間溢れ出たリビドーを奇跡的に付箋に封じ込めたもの。
数ヶ月経った今なお、ラップトップ下部で禍々しい呪力を放っている。


手近な紙に書き殴って心を無にしようとしたが、無駄だった。

次の瞬間、僕はすぐさまネットでベースを探し始め、しまいにはベースを実際に作る専門学校に進学した高校時代の友人に連絡を取り、

 

買っちゃった。

 

買っちゃった。この間ギター買ったばかりなのに。バカがよ。

 

Fender社製のPlayer Jazz Bass®の白(Polar White)。真っ白なボディに真っ白なピックガード、メイプルではなくちょっとくすんだパーフェローの指板。音も良い。実際にベースを自作ってる友人に試し引きしてもらい、お墨付きをもらっている。溢れ出る購入欲とは裏腹に、冷静に熟考した末購入したから当たり前なのだが、本当に全てが気に入っている。

 

財布には大打撃。だがしかし、ここで踏みとどまったら2度と能動的に音楽に触れることができなくなるという確信があった。

正直、21にもなって始める様なモノじゃないのではないか、という懸念はずっと付き纏っていたが、

 

 

やり始めたその時が最速

 

 

テレキャスを預かってもらった友人が、そんな感じのことを言っていた(気がする)。

痛く気に入ったので、今後一生これは座右の銘にしようと思う。その第一歩がこのベースだ。

 

 

...というわけで、ギターを弾こうと思ったらいつの間にかベーシストに転向していたワケだが(ギター代6万はちょっと痛いが)、ぶっちゃけこれで良かったと感じている。ここ数ヶ月ベースを触らない日の方が少ないというくらい、ずっと弾いている。クソ楽しい。基礎練ですら楽しい。

 

そして、ベーシストの動画を本格的に見出して気づいたのだが、

 

ベーシストはみんなあらゆるところに筋肉がついている。

 

いや、わかる。指引きするのだとしたら、指から腕にかけての腱というか、とにかくその辺りに筋肉がつくのはわかる。恐らくだが、途中でベースを投げ出さなければ僕だって多少は自然とついていくだろう。

 

でも、流石にベースじゃそんなに胸筋はつかなくない??????????

 

と思わざるを得ない。

 

ベーシストがする自己紹介のポーズじゃないだろ(褒め言葉)

この人このTシャツ着られたら納得するしかない

僕は最初に見た先達を愚鈍に盲信するハイイロガンみたいな習性があるので、幸か不幸かベーシスト=筋肉のイメージが刷り込まれてしまった。であれば、ベーシストの卵である僕も筋肉をつけていくのが世の理というモノだろう。

 

「じゃあ筋トレしようね。食生活も整えようね。タンパク質を摂ろうね。」

 

という内容を今回のブログに書きたかっただけなのだが、あまりにもベース購入時の述懐に熱を入れすぎてしまったので、どっちがメインだかわからなくなってしまった。

 

 

以上、終わり。オチはない。いい加減「オチはない」をオチにするのをやめたいな。

読んでくれてありがとう。

 

 

【参考チャンネル・参考動画】

・Mutsumiさんのチャンネル

www.youtube.com

・楽器は筋肉!【上手くなりたい人必見】/ 【ムツミ】Mutsumi

youtu.be

・【ベース】「なんか弾いて」と言われた時の対処法 / 【ムツミ】Mutsumi

youtu.be

*1:ちなみに、高校時代、フルなんちゃらみたいな楽器を吹いて初めて人前で演奏した時、心無い三年の先輩から「お前の楽器尺八みてえ」というありがたいお言葉を頂戴したことがある。また、2年生の先輩はあまりの感動に涙を流し、大声を出し、シンバルを持つ猿のおもちゃのように三日三晩踊り続けた話はあまりにも有名である。

思考のアウトプットと料理との関連性についての検討 - 毒霧呑大学 人文社会科学部 言語表出研究科

僕は口下手だ。

 

例えば、何か面白い話題があって友人に共有しようとする。しかし、その内容を噛み砕いて噛み砕いてアウトプットする時、そこに出力されるのは、往々にして「太古の昔のインターネットから存在しているガッビガビの画像みたいに劣化したモノ」だったりするのだ。

 

唐突だが、個人的に「言語表出」とは「料理」だと思っている。何が料理だ、と思うかもしれないが、仕入れた情報を吟味し、客に提供できるように料理として加工し、最も美味しくいただいてもらうためにコースとして順番を決定し、実際に食事の場に出す。どうだろう、あながち間違いではないのではなかろうか。まあ今思いついたんだけどね。

 

つまり、僕は圧倒的に料理→コースの構築という過程が下手くそなのだ。そのままレシピ通りに作ればいいものを、メモに書いてない調味料をぶっかけ、勝手にデザートを先出し、メインディッシュは生焼けのまま提供する。どうしたものか。

 

思い返してみると、幼少時からその気質はあった。周りよりも少しだけ知能が高い程度のガキだった僕は、辞書を読むのが好きだった。そして、その手のガキにはよくあることなのだろうが、「難解な言葉を使う」のもセットで好きだった。

 

当時は僕の拙い言語表出を「賢い」と認識する大人がいっぱいいたようで、ほとんどの場合褒められた。その結果、「難解な言葉を使う、いまいち要領を得ない会話をする生意気なクソガキ」が誕生し、もちろん今なお、僕はその延長線上にいるわけだ。

 

閑話休題。ではなぜこんな話をしたかというと、最近の人とのコミュニケーションで「口下手さ」「説明下手さ」を実感することが多くなってきているからだ。

 

現在大学四年生である僕は、今日も今日とてDiscordで常日頃から仲良くしてくれている友人と純度の高いインターネットの話で盛り上がっているのだが、思い起こしてみると、というかほとんどの場合、「ぼくのかんがえた(もってきた)さいきょうのおはなし」が「微妙なおはなし」くらいにランクダウンして伝わっているような気がする。不快も不快、実に不快!というほどではないのだが、「本当はもっと面白いのに」とか「思ってたよりもウケなかったな」みたいなモヤっとした感じが、ごく短い時間ではあるが残り続けるのだ。

 

人間である以上、得た情報を表出する際には二重三重のバイアスや思想といったフィルターを通過して産み落とされるわけだから、その結果自体は仕方がない。

 

でもちょっと待って欲しい。噺家、芸人、漫才師、ストリーマー、実況者、教師、政治家、詐欺師...(雲行きが怪しくなったのでこの辺で止めておくが)。

 

世の中には100%の話を劣化させずにそのまま、いやそのままと言わず120%、200%にブーストして放出できる人間がいる。

 

僕が輸入した貴重な食材をせっせこ不味くして提供している間に、彼らは適切な調味料、適切な手順を汲んで人々を魅了するような料理を振る舞っているのだ。悔しい。

 

 

 

 

まあ、だからなんだっつー話なんですけど。

 

 

 

 

 

結局ゥ、俺たちはァ、日常生活で支障がないレベルで会話ができるんだったら、話の上手い下手をいちいち気にしなくてもいいんだっつってんの!てめえの周りには、てめえの話を「面白い」って言ってくれる人間がいるよなあ?三ツ星料理店と、個人の手料理を比較して、うだうだ言ってても、そこに何の意味も無えよなあ?てめえの料理がいくら不味くったって、それを食って「うめえ」って言ってくれる人間がいるんだったら、それでいいんじゃねえかっつってんの!

 

 

...心の中のナコンが叫び始めたので、今日はこの辺で。

 

書きながら、話が飛躍しすぎたなと思った。結局僕は僕だし、日常生活で支障がないレベルで会話ができるのであれば、あるいは、それこそストリーマーやらなんやらになる気がそこまでないのであれば、今のままでもいいんじゃない?僕が欲しいのは人よりもちょっと上程度の話術なんだからそこまで思い詰めるなよ、と思った。この記事でちょっとだけ思考整理できた気がする。ここまで読んでくれてありがとう。僕はこの後ChatGPTにでも話がうまくなるコツを相談して眠ることにするよ。

 

 

以上です

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最近のポケモンの話

小学生の頃のこと。

 

ある日、校外学習から帰ってくると、玄関の目の前にある階段に見慣れないダンボール箱が置いてあった。大きさにして……いい例えが思い浮かばない……まあいいか……片手で持てるくらいの大きさ・薄さ・軽さを兼ね備えたソレをみた瞬間、僕のザコ右脳*1はすぐさま活性化し、一つの答えをを示した。

 

ポケットモンスター ホワイト」である。

 

 

図1. ポケットモンスター ブラック/ホワイト ©︎2010 任天堂

 

 

何を隠そう、僕は特に誕生日でもないのに当時の新作ポケモンを親に買ってもらう約束をしていたのだ。元来、人にものを頼むのが得意な性分ではない僕が、なんと発売日よりも前に、しかも父親に(僕は父親と話すのが昔からちょっと苦手である)、予約してもらってまで手に入れた一品である。

ちなみにハードはNintendo DS。もっと正確にいうとNintendo DSi LLうごくメモ帳とかでよく遊んでたっけ。

 

ポケモンは基本的にパッケージにそのソフトで手に入る「でんせつ」のポケモンが描かれる。初期の頃は違うけど、最近はそう。このブラック/ホワイトも例によってその法則が成り立っている。

 

しかし、今作では「名前がホワイトなのにパッケージのポケモンく、名前がブラックなのにパッケージのポケモン白い」という状況になっており、「ポケモンが欲しい」と子供にねだられた全国の親たちを混乱に陥った。

「黒い方のポケモン」「白い方のポケモン」などという小学生の曖昧な表現に、大人たちの曖昧な理解が掛け合わされ、残念なことに「こっちじゃない!」と泣き叫ぶ子供の姿が散見されたであろう…

 

ちなみに僕はわざわざチラシを切り抜き、「こっちだからね」と親に直々にプレゼンをしたのが功を奏したのか、望み通りの「ホワイト」が手に入った。ここが違うんですよここが(脳みそツンツン 🧠👈 危ないから真似しないでね)

 

ホワイトで手に入るでんせつポケモンの名前は「ゼクロム」。
「タイプ:ドラゴン・でんき」「とくせい:テラボルテージ」。

龍、電撃、漆黒の体、赤い瞳、ゴツいフォルム…そして意味はよくわからないけどなんか強そうな特性…まさに「男の子ってこういうのが好きなんでしょ?」が詰め込まれた、ロマンポケモンと言っても過言ではないよね。

 

ちなみにホワイトの続編である「ホワイト2」では、選ばなかった方のでんせつポケモン「レシラム」が手に入る(ブラック2ではその逆)のだが、僕はゼクロムが好きすぎて「 ホワイト → ブラック2 」を買った。

今の作品にも引き継がれているシステムだが、両バージョン間での通信交換でしか手に入らないポケモンもいたため、当時の友達と交換したり、そのついででバトルしたりしていた。

 

対戦した友達のK君は金色のアルセウスと異様にしぶといキノガッサを使ってきた。
改造ポケモンで固められたガチデッキだった。
僕の軟弱な旅パ*2はなすすべもなくボコボコにされ、当時の友人の名前を付与されたエンブオーは… 完封された。つくづく闇のゲームでポケモンとその友達の魂が繋がっていなかったことに安堵する。

 

いうまでもなく、以降、僕は対人戦をすることはなかった。

 

この辺にしておくか。とはいえ、初めてのポケモンは実際は「ポケットモンスター ハートゴールド」だった。小学校低学年くらいだったろうか。当時の僕は、欲しすぎて先に攻略本を購入し、分厚いページを最初から最後まで舐めるように見ていた。流石に種族値までは覚えなかったけど、当時のポケモンの名前は全て言えるくらいには読み込んでいた気がする。

あとソフトの他に、ポケットに文字通りポケモンを携帯できる、「ポケウォーカー」なる万歩計もどきが同梱されていたとを記憶している。中に例によって当時一番仲の良かった友達の名前をつけたバクフーンを入れ、歩数稼ぎのために腕をぶん回していたのが懐かしい。今考えたら普通にサイコ少年やんけ。でもポケモンに友達の名前くらいつけるよね。え?つけない?

それはさておき、そんなオタク少年は小中学校時代をポケモンと共に過ごしていた。

 

図2. ぽけもんとぼくのれきし

実際にプレイしたのは、前述した3作に加え、Nintendo 3DSでは初のポケモンであり、今までの2Dシリーズから大きく雰囲気を変え、3Dモデルが採用された「X」、そして妹がなぜか中学生の時に買っていた「ダイヤモンド」の2作、合計5作だった。弟が「Xの次作の「オメガルビー」を購入していたが、それはプレイしていない。高校生になり3DS離れをしてしまったからだ。

 

 

そこから数年経ち、2022年_________。

 

 

図3. ポケットモンスター スカーレット / バイオレット ©︎2022 任天堂



こちら、Nintendo Switchで発売されたポケモン最新作の「スカーレット」「バイオレット」。既に同ハードからは「ソード」「シールド」、今までのシステムから一新され賛否両論が巻き起こった「アルセウス」、先ほどあげた「ダイヤモンド」とその対となる「パール」のリメイクなど、さまざまなポケモンシリーズが出ており、前ハードであるWii Uから世代交代が起こってからは、怒涛の勢いで制作がなされてきた。まあ前述の理由でどれひとつとしてプレイできてないんだけど。

 

ちなみにSwitchは据え置き機でもあり、携帯機でもあり、という何とも中途半端な…いや欲張りな…うーん、いいとこ取りな?ハードとなっている。でもこの両刀スタイルはスペック不足という問題を引き起こし、せっかく移植された作品が最低画質かつフレームレート30fpsでしかプレイできなかったり、既存ゲームも処理落ちに次ぐ処理落ちでちょっとマイナスだな、と感じるポイントがあったりするので、個人的にはどっちかにしてくれ、という思いがある。だっていい環境でゲームしたいじゃんね。ただ技術もここ数年でだいぶ進化したし、ハードが発売された当時と今とでは要求される処理能力も段違いだろうから、あんまり責めすぎてもね、とも思う。だけど有線接続するにはLANケーブルと本体を繋ぐ専用のUSB変換コネクタを買わせるのはふじこふじこふじこ。

 

長くなりすぎた。割愛。
色々あるけど基本的に任天堂ファンだからこれからも応援します。

 

そんな新作の「スカーレットバイオレット」。「いやあ、ポケモンも携帯機を離れる時代になったのか…」というだけでなく、システム面でも大きく変わっているようだ。

 

2Dドット絵だったBWのあの時代からXYを経て、グラフィックはさらに美麗になってたり、「そらをとぶ」も本当にポケモンの背に乗って飛ぶことができるようになってたり(外伝作品・「ポケモンレンジャー光の軌跡」でエアームド*3に乗って飛ぶシステムがあった記憶はある)、マップ上でポケモンに乗れるようになってたり、トレーナーとの戦闘も「目があったから」という一方的なものではなく、こちらから話しかけて挑む形式に変更されていたり… 新発見だらけである。

実際にプレイしていないので、他人のプレイ動画とネットに落ちてる画像、公式から発表されている情報などから感じた所感でしかないので、事実と異なっていたらご勘弁を。

その中でも、草むらでのランダムエンカウント式ではなく、シンボルエンカウントへと変わっていたことにはとても驚いた。シンボルエンカウント自体は昔からあったが、そうした特殊グラフィックが割り当てられているのは、それこそ「でんせつ」ポケモンかストーリーの進行上重要になってくるポケモンくらいだった気がする。
草むらから急に飛び出してくるマダツボミコラッタ、ホーホー、オタチ、ポッポ、ミネズミヨーテリー、今ならこいつらにもグラフィックがつくのだろうか。つくのかもしれない。だってヒマナッツにもあるくらいだからね。キマワリの進化前だっけ?名前10年ぶりくらいに聞いた気がする。



こうなってくると、もう僕が知っている頃のポケモンなんてないのかもしれない。そう思うと少しばかり寂寥感を感じたが、それはそれ。時代に迎合して未だに「ポケモン」というコンテンツが続いているというだけでも、喜ばしいことである。その気持ちを胸に生きていこう。以上、思い出話。

 

 

最後に、さらに驚くべきことに新情報があった。

なんとあの冨樫義博大先生の漫画作品、

HUNTER×HUNTERから、
大人気キャラクターヒソカも出演しているという。

 

図4. ヒソカ = モロウ



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

んな訳ないだろ

dic.pixiv.net

*1:ちなみに右脳はひらめき等を司っているので、あながち間違いではない

*2:旅パーティ。ストーリー攻略を進める用

*3:よろいどりポケモン はがね/ひこう 高さ:1.7m重さ:50.5kg

夏休みを引きずっているという話

地方国立大学の学部3年、11月初頭のこの時期の僕は、未だ夏休みを引きずっている。

『大学生は人生の夏休み』という言葉が、何も考えずに生きている高校生の心の支えとなって久しく、実際その言葉通りの生活をしている大学生も多い。

僕は大学生になったら何をしたいか、どうなりたいかをあんまりよく考えず、なんとなくで「あ、ここの学部いいかも」「親に負担かからない国立だし一応興味のある分野だし」と進学先を決定した。その結果、自分の専門の分野への興味も薄れ、現在はただそんな毎日をなんとなく消化して生きている。

 

夏休みには勉強する予定だったが、ほとんど手につけずにいた。

SNSでは周りの人間が就活だのインターンだのに出向き、自分がどんどん成長している様を電子の海で誇示していたため、あまり見ないようにした。キッツイんだわあれ。

そして、夏休みが明けた今、未だ自分の生活は8-9月準拠のものであり、ネット上で目を逸らし続けてきた人々が眼前に実体を持って現れるようになった。

自分は何もなさなかったという事実をまざまざと突きつけられた。

今、僕のメンタルは緩やかに崩壊しつつある。

 

要するに、

「何をしてもいい」ということは「何もしなくともいい」ということでもある!

という自分に都合の良い解釈で生きた結果がこれで、結果焦ってるけどもう手遅れな感じがして全てを投げ出したくなっている、というなんともよくある話である。

本当によくある話すぎて笑ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで、英語の文法に則れば、

don't have to (しなくともよい)」の逆は「have to / must (しなければならない)」だ。

これは一本取られたね。

『埋め合わせ』

こんなツイートを目にした。

 

僕には付き合って1年と少しになる一つ上の彼女がいるが、大学の後期が始まった今では、会う機会も激減した。大層めんどくさがりでズボラな僕だが、付き合ってからは毎日欠かさずLINEを送ることにしている。いや、別に送るのが面倒くさいわけではない。送るに値する話題を見つけるのが非常に難しいのだ。

 

高校三年間を吹奏楽部一筋(別に強豪でもないのにさ)で生きてきた僕にとって、LINEは単なる業務連絡ツールであり、グループではそれなりに発言をするものの、個人チャットに行ってまで会話する、なんてことはほとんどなかった。

あったとしても、友人とのLINEは非常に淡白なものになりがちで、実際、普段仲良くしていた奴が相手でも、全くと言っていいほど話が続かなかった。クラスメートからの遊びの誘いも来たことはなかった。いやマジで。

 

あと、以前合同演奏会で一緒になった女の子とLINEを交換し、世間一般の高校生男子諸兄もすなる「LINEでの会話」といふものを、僕もしてみむとてするなり(土佐物語。この場合 ”やりき”?)、みたいな機会があった。

 

さて、ほぼ男子校かつ男友達とも碌にLINEで会話ができない奴がそんなことしたら、一体どうなっちゃうんだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜???!??!??

 

ひどいもので、こちらからの返信は週に一回。「そんなもんだよ」と言われつつも、だんだんと頻度は減り、最終的に一ヶ月返答を行わなかった挙句、

 

あ、スマホが不調なので返信できませんでした 

 

とかいう最低最悪の言い訳で花の女子高生との貴重な会話の機会を殺したこともある。

今考えたら本当に死にたくなってきた。まあ死なないんですけど。僕は言霊思想を強く信じているので。いえーい。言霊思想万歳。

 

ここまで書けば、僕はLINEがクソ苦手だということが伝わるだろう。

 

それに加え、僕は『LINEに返信していないという状態』も人一倍苦手で、常人の三倍くらいは無駄に気にしていると自負している。

 

個人間での短文の個人的なやり取りが苦手なのにも関わらず、返信をしなければならない。非常に、非常にストレスがかかる。めんどくさい。ひたすらに、めんどくさい。

 

そして、その原因はきっと「既読」機能の存在が大きいだろう。

 

諸説あるが、というか調べるのもめんどくさいのでそういうことにしておくが、2011年3月11日の東日本大震災を契機に、LINEは急速に広まったという。

「既読がついている」ということは、そのまま「画面の向こうに誰かしらがいる」ことを意味し、「画面の向こうの人物は、当然その連絡端末の持ち主だろう」という帰結から、とりあえずの安否確認には大いに役立つわけだ。

 

ちょうど当時はスマートフォン普及の黎明期だったと記憶している。実際、当時小学ウン年生だった僕の同級生のうち、何名かは既に親のスマホを使ってYouTubeを見ていたし、僕も流行りの機械に敏感な父親をはじめとした大人たちが使っているのを側から眺めていた。

 

まあそれはさておき、とにかく僕はそんな「既読機能」、邪魔だな〜〜〜とずっと思っている。しかし、近年になって3D Touchが標準搭載されるようになったiPhoneAndroidでは、ちょっと軽めに長押しすると、会話に既読をつけずに内容を確認することができる。これはとってもありがたい。そのおかげでここ数年はいくらかストレスも和らいでいると感じている。

 

じゃあ問題は解決しつつあるのか?答えはNOだ。

 

何故って?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図1. 平成30年8月にライセンス料の無償化に踏み切ったせんとくん

 

オールマイトの画像が出ると思ったでしょ 残念、せんとくんでした。

www.sankei.com

 

改めて、何故か?

そもそも会話が下手だから”である。

 

今までの冗長な文章を見て分かる通り、本当に会話というかそもそも話の要点を伝える能力が圧倒的に欠如している。LINEだけじゃなくコミュニケーションそのものに難があると思うのだ。

 

件のツイートを再掲する。

ちなみにこの意見を批判する気は毛頭ない

 

ただ単にこのツイートを見て自分自身に置き換えた時、僕は

 

「忙しくて会えない」という現状にかまけて、

「LINEは苦手だから」と言い訳をして、

「埋め合わせ」の姿勢を見せていないよな… 

 

と思ったよ、というだけである。

 

ぶっちゃけ、付き合った当時から長く続かないだろうと思っていた。

何故なら多分僕と話をしていても楽しくないと思うからだ。

実際元カノがそうだったし。

連絡するのはいつも向こうから、こちらからの返信は淡白、内容も反応に困るような、「で?」と言われればそれだけのような、そんなものばかり。

 

こちらから連絡をしないのは、できないのは、こちらから話す内容はきっとつまらないから。なんなら何かを話そうと思っても、何も思い浮かばない。最悪だ。

 

付き合っている以上、何か面白い出来事を話すか、最低限相手が返信しやすいような話題提案を行い、良好な関係の構築に努めていくのがこちらの義務であるとは思う。でも何故かできない。

 

なんでだろ、と考えたら、過去にある先輩が何気なく発した、"隙あらば自分語り"というワードが、魚の骨のように喉に引っかかったまま過ごしてきたせいで、いつの間にか自分について話すのがとても怖くなっていたことに気づいた。なんとなく無意識のうちに、当たり障りのない内容しか喋らなくなっていた気がする。

 

じゃあどうすればいいんだろう。自分語りを解禁すればいいのか?でも僕は、自分のことを他人に説明するには、自分のことをあまりにも知らなさすぎるような気がする。会話が下手なのってコミュニケーションだけの問題じゃないのでは?そもそも僕自身、人に話せる中身がないのでは?そんな考えばかりが頭の中をぐるぐるしている。

 

まるで弾の装填されていない空っぽのマガジンが装着されている旧式の銃みたいな気分になっている。うーん、スプラトゥーンで「インクタンクが空になったけど自動補給機能がないから、空撃ちを続けている状態」の方が近いかな?

うまく伝わるかわからないけど、そんな感じ。

多分朝起きたら死ぬほど消したい衝動に駆られるような文章だけど、勢いに任せておこう。

 

いや〜まさか自分が、『"よくある陳腐な大学生のアイデンティティ拡散の危機"問題』に陥るとは思わなかったな

 

 

ごちゃごちゃしてきたのでこの辺で切り上げようかと思う。

今回初めてブログを書くにあたって、久しぶりに自己の内面と向き合っているため、自分自身何が言いたいのかわかっていない。

 

・LINEが苦手だよって話

・LINEの既読機能は結構僕にとって割とでかいストレッサーだって話

・苦手なのはLINEだけじゃなくてコミュニケーション全般じゃないのって話

・自分のアイデンティティを見失ってるからうまく話できないのかもしれないねって話

・LINEが苦手なことにかまけて、彼女に埋め合わせをしていないなって話

・このままだとまずいなって思ってるけどどうすればいいかわからないって話

 

大体こんなところだろうか。

特にオチはない。駄文に付き合ってくれてありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、今日も相手が「声聞きたい」ということで通話をした。

 

[ 通話開始 0:22 ]

「こんばんは」

「こんばんは」

 

「おやすみなさい」

「うん、おやすみ」

 

─────以降、約12分の沈黙

 

[ LINE 0:34 ]

<『きりますね』『ばいばい』

                                                       『ごめんね』>

 

 

累計通話時間、13分29秒。